妖怪の実在性の話
すっかりご無沙汰しているうちに、ちらほらと梅や桜の蕾が見え始めた。
無事に卒業も確定し、春からは新社会人の仲間入りである。
慌ただしい日々を送りながらも、妖怪のことを考えるのは忘れていない。
せっかく東京で「追悼水木しげる ゲゲゲの人生展」なるものが開かれているので、少しばかり、私の考える妖怪についてお話をしようと思う。
そもそも妖怪とは?
妖怪とは、あやしいもの、不思議な現象、またそれを引き起こす存在と考えてもらえれば、中らずといえども遠からず、といったところである。
「妖怪」の定義は、古くは井上円了先生、最近では小松和彦氏や京極夏彦氏に見られる。
中でも私は小松氏の考えを気に入っていて、整理すると以下のようになる。
- 説明できない怪現象が発生
- 名付けによる妖怪化(妖怪現象)
- 定着による二次妖怪化(妖怪存在)
- 妖怪のフィクション化…物語化、デフォルメ(妖怪存在の強調)
- 科学による怪現象の説明…妖怪が前近代的なものとされる(妖怪現象の消失)
元々は原因不明の怪現象を「妖怪」と呼んでいたのが、怪現象を引き起こす存在がいると考え「妖怪」と呼ぶようになったのである。
したがって私は、妖怪を考える時に「何をする妖怪なのか」を調べることを重視している。
妖怪界隈では有名な、鳥山石燕の描いた妖怪には、遊びと風刺により生まれたものが多くいる。(例えば小袖の手や毛羽毛現など)
そうした妖怪を題材にとる場合、背景を自分なりに考えていくのが、私の創作における醍醐味である。
その意味で、(私は詳しくないのだが)『妖怪ウォッチ』では怪現象を踏まえたキャラクターが作り出されているようだ。
妖怪はいる? ある?
上記のことを踏まえると、妖怪が「いる」とする場合には、妖怪のことを「怪現象を引き起こす存在」ととらえていることになり、妖怪が「ある」とする場合には、「原因不明の怪現象」ととらえていることになる。
したがって、どちらかと言えば、妖怪は「ある」と表現することが望ましいのだが、すっかりキャラクターとして定着した現在は、どちらでも構わないだろう。
妖怪は実在するのか?
ぶっちゃけて言うと、実在はする。
少なくとも私はそう思っている。
なぜなら、水木先生が見たと仰って、あれだけの妖怪を描くという偉業を成し遂げたのであるから、自分が見たことなくとも信じたくなるというものである。
妖怪がキャラクター化した現在では、妖怪が実在すると言うと、河童や小豆洗いの姿を想像し、彼らと遭遇するところを思い浮かべるかもしれない。
しかし元々、妖怪とは「原因不明の怪現象」なのである。
説明のつかないこと、日々の中で不思議に思うこと、それらは(いささか乱暴だが)広い目で見れば「妖怪」と言える。
したがって私は、妖怪の実在性については肯定している。
……が、しかし。
同じような未知の存在でも、宇宙人やUMA(未確認生物)、都市伝説は、妖怪と類似しており、時には同じカテゴリーに入れられることもあるが、まったく異なるものであり、同様に実在性を肯定できるものではないと言っておく。
あれらは「原因不明の怪現象」ではなく、「正体不明の存在・地域への想像」がほとんどであるためだ。
時には科学でも説明できない証拠が残っている場合もあるが、それらはいわば、その土地の妖怪のようなものであり、伝承が付随していることが多い。
単に「こういう生き物がいる」という情報は、話半分で楽しむのをおすすめする。
最後に
私の妖怪に対する根本的な考え方、スタンスを紹介させていただいた。
いずれさらに踏み込んだ話や、妖怪と創作を結びつける方法などをお話したいと考えている。
また、最後に冒頭で紹介した「追悼水木しげる ゲゲゲの人生展」を改めて紹介しておこう。
しばらくは東京での展示になるが、会期を変わって関西などに会場を移して展示されるので、ぜひ足を運んでみてほしい。
私もぜひ、観に行こうと考えている。