物語をつくる「大」と「小」
毎週水曜日はゼミがある。
私は妖怪を題材に取った連作短編を執筆しているのだが、昨日は順番的には一番最後にあたる短編の指導を受けた。
私としては、「妖怪はこうして語られることで伝承していく」ということを簡潔に記して各短編を終わらせたい。
しかし先生やゼミ生は「ラストをもっと盛り上げようよ!」と言うのだ。
連作短編としてのコンセプトに反するのだが……と悩んでいる私に、先生は重ねた。
「卒制の最後だよ? 星谷菖蒲の卒制はこれで終わりってなるんだから!」
この言葉を聞いて、私はこの短編だけ、最後をもう少し書き加えようと決めた。
忘れかけていたが、卒業制作という「大」をつくるための「小」が各短編である。
もちろん「小」がなければ「大」にはならない。
しかし、「大」の枠があるから「小」で埋めるのだ。
今日は物語をつくる「大」と「小」のバランスについて、お話しよう。
なぜ「大」と「小」なのか?
先程、「大」は枠であり「小」はそれを埋めるものだと述べた。
しかし実際のところ、「大」とは物語を通して「伝えたいこと」である。
そして「小」とは、読者に伝えるための伏線や、伝えたいことの根拠である。
私の「大」、すなわち卒業制作を通して伝えたいことは「人間と妖怪は交流できる」ということ。
この時の「小」、すなわち各短編では、それぞれ異なる人間と妖怪の交流を描いている。
各短編で人間と妖怪の交流を書いているから、私が伝えたい「人間と妖怪は交流できる」ということが線で繋がり、読者に伝わる。
執筆する際に「何を伝えたいのか」を、自分の中で明確にすることは非常に重要だ。
伝えたいことを伝えるために書いている内容や要素は本当に必要なのか? 線で繋がるものか?
どんな物語をつくるか考えることは、つまり「大」と「小」を考えることなのである。
なぜバランスを取るのか?
物語をつくるためには、上述した「大」と「小」のバランスを取ることが大切である。
例えば、私の卒業制作の短編の中に、人間と人間、または妖怪と妖怪の交流に重きが置かれているものがあったとしよう。
果たして、読者に「人間と妖怪は交流できる」と伝わるだろうか?
他の短編から伝わるかもしれないが、不要な要素が邪魔をするだろう。
人間と妖怪という異なるものの交流を伝えたい時に、同じものの交流を描くことは、はっきり言って無意味である。
「大」を伝えるために「小」が必要となるのであるから、「大」が伝わらない「小」は不要なのだ。
「大」を伝えるために必要な「小」は何か?
「小」は本当に「大」を伝えるための要素となっているか?
二つを常に意識してバランスをとることが、「伝えたいこと」が伝わるコツである。
まとめ
冒頭の話に戻ろう。
私は確かに、各短編において、人間と妖怪の交流を書いてきた。
しかし各短編では「人間と妖怪は交流できる」根拠をあげただけで、結論を書いたわけではない。
つまり、このままでは「結局何が言いたかったの?」と受け取られかねないのである。
したがって私は、「大」である「人間と妖怪は交流できる」ということを伝えるために、「小」である最後の短編に要素を加えることにした。
書きたいシーンや盛り上がるシーンを書いていると、「物語を通して伝えたいこと」をつい忘れがちになる。
「大」と「小」のバランスを取りながら、自分が「伝えたいこと」を伝えられる物語をつくっていきたいものである。