「灯台下暗し」はもったいない!
昨日に引き続き花の話をひとつ。
昨日、初めて近所の花屋へ出かけた。
友人の誕生日へのささやかなプレゼントを買うためである。
別の花屋へ寄ろうと思っていたのだが、うっかり忘れていて帰宅してしまった。
出かけるのは面倒だが、花はぜひとも贈りたい。
そこでふと、「そういえばあそこに花屋があったな」と思い出したのである。
祝日のため営業しているか少し不安だったが、お店はしっかり開いていた。
包んでもらいながら、お花の話を聞いたり、栄養剤をもらったり。
ワークショップの告知を聞きながら店を後にした。
小さな花束を抱えて帰宅した私は思った。
「なんて素敵な花屋だろう。今まで知らなかったことがもったいない!」
灯台下暗しとはまさにこのこと。
そこで今日は、身近なお店を知ることは素敵だというお話をしよう。
なぜ身近なお店なのか?
今回は身近なお店を、近所のお店と限定しよう。
なぜ近所のお店を知るかと言えば、意外と知らないからである。
例えば私は、移動手段が原付だ。
近所にスーパーはあるが、原付では行きにくい。
そうなると家から多少遠くとも、原付で行きやすいスーパーを利用することになる。
人は結構、「近いからいつでも行けるでしょ」と考えがちだ。
……本当に「いつでも」行けるのだろうか?
気が付けば閉店しているかもしれない。
自分が何らかの理由で引っ越さなければならないかもしれない。
近くとも遠くとも、機会は「今」しかない、と思うことが大切だ。
だからこそ、目を向けにくい近所のお店を知るべきなのである。
なぜお店を知るべきなのか?
一つには、便利に暮らすためである。
花屋であれば、同じ料金でもきれいに花を包んでくれるところの方が嬉しい。
そのためには複数の店舗を利用し、比較しなければならない。
とてもきれいに包んでくれるが遠いお店と、そこそこきれいに包んでくれる近いお店。
近いお店も知らなければ比較できず、遠いお店を利用するしかない。
自分にとって何が便利なのか?
その基準で比較するにあたり、比較対象が多いことに越したことはないのである。
もう一つには、人と出会うためである。
新しい店に行けば、当然新しい人と出会う。
出会いは何らかの知見をもたらしてくれる。
例えば私は、花屋でバラの品種について、ひとつ知ることができた。
出会いによる新たな知識や考え方が自分を作っていくことは、素敵だと思わないだろうか?
「知っている」ことは「知らない」ことより、より多くの要素で自分を作ることができるのである。
まとめ
「知らない」ことより、「知っている」ことの方が素敵である。
そして近所の「知らない」ことは、すぐに「知っている」ことに変えることができる。
灯台下は暗くなりやすいが、明るくできないわけでもない。
同じ人生を生きるのなら、明るく素敵な人生を送りたいものである。