「生きねば。」ならない理由
――生きねば。
簡潔なコピーと、青空を背に佇む帽子をかぶった男性の描かれたポスターを、みなさん一度はご覧になったことがあるのではないだろうか。
(なお、堀辰雄の同名小説『風立ちぬ』は、インスピレーションは得ているものの展開などはあまり関係ないらしい)
大正時代という興味深い時代が描かれていることはもちろん、史実や実在した人物に基づいた物語の展開も非常に面白い作品であった。
中でも、「物語」として一番面白かった点は、物語の展開が「生きねば。」へつながる点である。
3つの疑問を追いながらご紹介しよう。
なぜ少年時代から描かれるのか
映画の始まりは、一人の少年――堀越二郎の夢である。
夢の中で飛行機に乗る彼は、ご想像通り飛行機に憧れている少年だ。
学校の教員から、英語で書かれた飛行機の雑誌を借りるほどの熱である。
さて。雑誌に写真が載っている設計家・カプローニ伯爵が、なんと二郎の夢に現れる。
伯爵のように飛行機を作りたいと願う二郎は、伯爵に励まされ、飛行機の設計家を目指すことを決意するのだった。
……と、二郎の決意が固まるのが少年期なのである。
宮崎駿監督は本作について、「自分の夢に忠実にまっすぐに進んだ人間を描きたい」と語っている。
つまり、二郎がいかに夢へ忠実に進んだか表現するため、少年期を描くことで時間の幅を表したのであろう。
なぜ夢の中の言葉を信じるのか
カプローニ伯爵はたびたび二郎の夢に現れる。
二人の出会い、会話は必ず飛行機の中(または上)で行われる。
夢は何でもできる、という伯爵の言葉を、二郎は疑いもしない。
なぜ信じるかと言えば、そこに伯爵の飛行機への情熱が あるからだ。
具体的には、伯爵が語った旅客機の夢が現実となり、知らせが二郎の元まで届くのである。
つまり、二郎は夢の存在を、飛行機への情熱を支えてくれるものだと考えているのであろう。
なぜ「生きねば。」ならないのか
二郎は学生時代、関東大震災に遭い、一人の少女と女中を助けた。
数年後、二郎は飛行機の開発会社に就職するが、手がけた仕事が失敗し、休養に向かう。
向かった休養先のホテルで、二郎は昔助けた少女――里見菜穂子と再会し、恋に落ちる。
喀血に冒されている菜穂子だったが、二人は愛し合い、ついに結ばれる。
ところが、二郎が飛行実験を行っている最中、彼は虫の知らせを感じる。
――そして数年後、二郎は夢の中でカプローニ伯爵に会う。
伯爵は「ずっと君のことを待っていたんだ」と菜穂子を紹介した。
菜穂子は微笑みを浮かべて、二郎に「生きて」と言う。
二郎はその言葉に涙を流し「ありがとう」と言うのだった。
……さて。映画はここで終わるのだが、今までと異なっているのは、最後の夢には愛する人が出てくる点だ。
整理すれば、菜穂子が「生きて」と言ったから、二郎は「生きねば」ならないわけである。
そして彼が菜穂子の言葉を信じる理由は、幼い頃から飛行機への情熱を支えてくれた夢が、彼にとって信じられるものだからである。
まとめ
私が本作で面白いと感じた点は、物語の展開が「生きねば。」へつながる点である。
物語の展開とは、「少年期」「夢の中」である。
これらが必然性を伴ってつながることで、「生きねば。」という言葉を引き出す。
最初に目につくコピー「生きねば。」がなぜ書かれているのか?
その理由が最後まで見ることで明らかになる物語の展開は、非常に巧みだと言えよう。