「追悼水木しげる ゲゲゲの人生展」に行ってきた!
ご無沙汰しているうちに、数日の雨で、桜が散り始めてしまった。
今週は少し肌寒い日と、暖かく穏やかな日が混じっていて、近所の桜も見頃を迎えていた。
さて。
前回のブログでご紹介した、「追悼水木しげる ゲゲゲの人生展」を覚えているだろうか。
今日は、休みを利用して友人と梅田の会場に行ってきた。
詳しくは実際に足を運んでいただくか、図録を入手していただくのがおススメだ。
では、今日のブログは何を書くのかと言えば、水木先生へのとりとめない私の感情を綴っていくつもりだ。
たまには徒然なるままに書き綴ることをお許しいただきたい。
水木しげる
水木先生について、私ごときがご説明するのも少々はばかられるのだが、一応簡単にお話しておこう。
1922(大正11)年、水木しげる先生――本名・武良茂――は生誕した。
生まれは大阪なのだが、その後鳥取県の境港へ移った。
幼少期にはのんのんばあ(※1)と出会い、色々と不思議な話を聞かされて育つ。
1943(昭和18)年、21歳の時に徴兵される。南方の戦線に送られ、激戦のうちに左腕を失くす。
そののち生還して帰国し、1961(昭和36)年、39歳の時に見合いをし、布枝さんと結婚した。
以後、貸本や雑誌に『河童の三平』(※2)や『悪魔くん』(※3)を掲載し、徐々に名をあげていく。
なお、『ゲゲゲの鬼太郎』は1967(昭和42)年の時に『墓場鬼太郎』から改題されたものである。
『墓場鬼太郎』は1964(昭和39)年から掲載された。
数多くの仕事をこなしながら、1991(平成3)年には紫綬褒章を受賞。2010(平成22)年には文化功労者とされた。
そして2015(平成27)年の11月30日、「あの世」へ去った。
※1『のんのんばあとオレ』
※2『河童の三平』
※3『悪魔くん』
「ゲゲゲの人生展」の様子
展示会場は、梅田の大丸15階で行われた。
一章から六章にわかれていて、なんと水木先生のへその緒から、展示が始まる!
- 第一章は少年期の思い出や、絵画など。
- 第二章は戦中・戦後の手記や、作品など。
- 第三章は結婚、鬼太郎の誕生など。
- 第四章は数々の作品や水木先生の仕事部屋を再現し、スクリーンには数多くの妖怪たちが投影された。
- 第五章は水木先生のお面コレクションなど。
- 第六章は布枝さんのインタビューや追悼文など。
おおまかな展示内容は以上の通りだ。
第一章のへその緒や、第五章のお面など、立体物も非常に多く展示されていた。
見所はやはり、第四章の仕事部屋再現だろう。
さらに第六章の追悼文は、総勢48名から寄せられており、圧巻だ。
荒俣宏先生はもちろん、京極夏彦氏、小松和彦氏、さかなクン、野沢雅子氏や美輪明宏氏などからも寄せられている。
一筆一筆に思いが込められており、お恥ずかしい話ながら、私は涙腺をやられてしまった(笑)
もちろん各章に展示されている直筆原稿の素晴らしさも、ぜひ生で実感していただきたい。
土曜日ではあったが、開場してすぐの昼前にも関わらず、来場者は非常に多く、水木先生がいかに多くの人に愛されていたのか知ることができた。
さらに、物販には限定グッズも多く、また名言おみくじや特設コーナーなどもあり楽しめるので、ぜひ公式サイトもチェックしていただきたい。
私と水木しげる
さて、妖怪好きを自称する私だが、実は『ゲゲゲの鬼太郎』はあまり見た覚えがない。
自分がどこで水木先生を知ったのか、とんと覚えがないのだ。
いつの間にか妖怪が好きになっていて、いつの間にか水木先生のことを追いかけていた。
実際にお見かけしたことは一度もない。
それでも一昨年の訃報を耳にした時は、頭が真っ白になって、何も考えられなかった。
今もあまり、心の整理ができたとは言い難い。
水木先生の名前を聞くと悲しくなるし、けれども不思議なことに同じくらい嬉しくもなる。
今日、一緒に来てくれた友人がこんなことを言った。
「妖怪は好きだけど、のめり込むほどじゃないんだよね」
私はこう返した。
「それでもいいんだよ。妖怪というものがあることを知っていてくれる人がいることが、水木先生の成し遂げたことだから」
小難しい話は抜きにしても、水木先生によって妖怪が広く認知されるようになったことは事実だろう。
水木先生が何を求めて描いておられたのか、私は知らない。まったくわからない。
けれど妖怪に興味のない人にまで鬼太郎や一反木綿が知られていること。
――私はそれが、たまらなく嬉しい。
この気持ちをみなさんにお伝えするのは難しいので、そんな考えをしてるやつもいるんだ、くらいに思っていただけると良い。
最後はとてもまとまりがなくなってしまったが(笑)、私から言えることは、とにかく素晴らしく楽しめる展示なので、ぜひとも足を運んでいただきたい!
大阪会場の期間ももう少し残っているし、次は京都、神戸などまだまだ巡回予定なので、興味のある方はチェックしてみてほしい。
妖怪の実在性の話
すっかりご無沙汰しているうちに、ちらほらと梅や桜の蕾が見え始めた。
無事に卒業も確定し、春からは新社会人の仲間入りである。
慌ただしい日々を送りながらも、妖怪のことを考えるのは忘れていない。
せっかく東京で「追悼水木しげる ゲゲゲの人生展」なるものが開かれているので、少しばかり、私の考える妖怪についてお話をしようと思う。
そもそも妖怪とは?
妖怪とは、あやしいもの、不思議な現象、またそれを引き起こす存在と考えてもらえれば、中らずといえども遠からず、といったところである。
「妖怪」の定義は、古くは井上円了先生、最近では小松和彦氏や京極夏彦氏に見られる。
中でも私は小松氏の考えを気に入っていて、整理すると以下のようになる。
- 説明できない怪現象が発生
- 名付けによる妖怪化(妖怪現象)
- 定着による二次妖怪化(妖怪存在)
- 妖怪のフィクション化…物語化、デフォルメ(妖怪存在の強調)
- 科学による怪現象の説明…妖怪が前近代的なものとされる(妖怪現象の消失)
元々は原因不明の怪現象を「妖怪」と呼んでいたのが、怪現象を引き起こす存在がいると考え「妖怪」と呼ぶようになったのである。
したがって私は、妖怪を考える時に「何をする妖怪なのか」を調べることを重視している。
妖怪界隈では有名な、鳥山石燕の描いた妖怪には、遊びと風刺により生まれたものが多くいる。(例えば小袖の手や毛羽毛現など)
そうした妖怪を題材にとる場合、背景を自分なりに考えていくのが、私の創作における醍醐味である。
その意味で、(私は詳しくないのだが)『妖怪ウォッチ』では怪現象を踏まえたキャラクターが作り出されているようだ。
妖怪はいる? ある?
上記のことを踏まえると、妖怪が「いる」とする場合には、妖怪のことを「怪現象を引き起こす存在」ととらえていることになり、妖怪が「ある」とする場合には、「原因不明の怪現象」ととらえていることになる。
したがって、どちらかと言えば、妖怪は「ある」と表現することが望ましいのだが、すっかりキャラクターとして定着した現在は、どちらでも構わないだろう。
妖怪は実在するのか?
ぶっちゃけて言うと、実在はする。
少なくとも私はそう思っている。
なぜなら、水木先生が見たと仰って、あれだけの妖怪を描くという偉業を成し遂げたのであるから、自分が見たことなくとも信じたくなるというものである。
妖怪がキャラクター化した現在では、妖怪が実在すると言うと、河童や小豆洗いの姿を想像し、彼らと遭遇するところを思い浮かべるかもしれない。
しかし元々、妖怪とは「原因不明の怪現象」なのである。
説明のつかないこと、日々の中で不思議に思うこと、それらは(いささか乱暴だが)広い目で見れば「妖怪」と言える。
したがって私は、妖怪の実在性については肯定している。
……が、しかし。
同じような未知の存在でも、宇宙人やUMA(未確認生物)、都市伝説は、妖怪と類似しており、時には同じカテゴリーに入れられることもあるが、まったく異なるものであり、同様に実在性を肯定できるものではないと言っておく。
あれらは「原因不明の怪現象」ではなく、「正体不明の存在・地域への想像」がほとんどであるためだ。
時には科学でも説明できない証拠が残っている場合もあるが、それらはいわば、その土地の妖怪のようなものであり、伝承が付随していることが多い。
単に「こういう生き物がいる」という情報は、話半分で楽しむのをおすすめする。
最後に
私の妖怪に対する根本的な考え方、スタンスを紹介させていただいた。
いずれさらに踏み込んだ話や、妖怪と創作を結びつける方法などをお話したいと考えている。
また、最後に冒頭で紹介した「追悼水木しげる ゲゲゲの人生展」を改めて紹介しておこう。
しばらくは東京での展示になるが、会期を変わって関西などに会場を移して展示されるので、ぜひ足を運んでみてほしい。
私もぜひ、観に行こうと考えている。
「読者」を想定して書く
昨日は、久しぶりに文芸部に顔を出した。
先日発行された部誌に作品を載せたので、その合評会だったのだ。
ちなみに掲載した作品とは、こちら「Sleeping」である。
久しぶりに、自分の作品へのコメントを複数人からいただいくことができた、有意義な時間であった。
そこで自分の創作に足りないものは何か。
あるいは自分に限らず、創作において重要なものは何かを考えた時、気が付いたことがある。
「多様な読者を想定して執筆しなければならない」
今日はこの点において、2つの疑問からお話していく。
なぜ読者を想定するのか?
そもそもなぜ読者を想定する必要があるかと言えば、作品を発表するからである。
鍵付きの日記帳に書くのでもなければ、作品はおおむね発表される。
小説賞であったり、投稿サイトであったり、はたまた同人誌であったり。
作品を提供する人がいれば、当然享受する人もいる。
何らかの形で作品を発表しようと考えている限り、読者を想定することからは免れないのである。
そして読者を想定したら、読みやすい工夫やわかりやすい表現を心がけなければならない。
あえて読みにくい、わかりにくい文章を書くというのも手法の一つではある。
しかしそれは読み慣れている人や、読みにくい文章を好む読者にしか読まれない。
多くの読者は、自分が読みにくいと感じたり、わからないと思ったら読むのを止めてしまう。
せっかくの作品なのだから、一人でも多くの読者に届いたほうが嬉しいだろう。
もちろん、読者に媚びを売ったり、自分の信念を曲げてまで書く必要はない。
ただ、不必要に難解な語句を用いたり、作中での説明を省いたりしないように気を付ければよいのである。
なぜ「多様な」読者なのか?
「読者」とはいわゆるターゲットである。
作品を商品と考えた場合、読者は売り込みたい層のことになる。
ライトノベルは若者向け、TL小説は女性向けなど。
投稿サイトではジャンル設定されていることが多く、ファンタジーや恋愛、ミステリーなどそれぞれのジャンルを好む読者向けだ。
上記のような場合、ほとんどはターゲットとなる読者が、レーベルやジャンルによって興味のある作品を選択する。
そうすると、例えば、ミステリーを好きな読者が読むため、密室トリックの難しさの説明は長々と必要ないし、伏線も意図的に拾って読んでもらうことができる。
しかしミステリーを読んだことない読者が、たまたま読んだとしたらどうだろう。
密室トリックがいかに難しいものかわかりやすく説明しなければならないし、伏線だと知らない読者には意味不明な表現に思えるかもしれない。
年代や性別、ジャンルによって読者を限定できないのは、主に部誌などの同人誌だ。
多様な作品が集まるところでは、多様な読者を想定しなければならない。
なお、読者を限定できる場合においても、当然、新規読者は想定しておくべきである。
まとめ
なぜ執筆するかという根本的な理由は、「書きたいから」というものの他に、「読んでほしいから」があると思う。
冒険のワクワク感を味わってほしい、恋愛のドキドキを感じてほしい……そうした他者へ影響させたいという思いがあるのではないだろうか。
で、あるならば、自分の作品を読んでほしい「読者」は常に想定しなければならない。
そして、どうしたら「読者」に自分の伝えたいことが伝わるか気を配ることが大切である。
物語をつくる「大」と「小」
毎週水曜日はゼミがある。
私は妖怪を題材に取った連作短編を執筆しているのだが、昨日は順番的には一番最後にあたる短編の指導を受けた。
私としては、「妖怪はこうして語られることで伝承していく」ということを簡潔に記して各短編を終わらせたい。
しかし先生やゼミ生は「ラストをもっと盛り上げようよ!」と言うのだ。
連作短編としてのコンセプトに反するのだが……と悩んでいる私に、先生は重ねた。
「卒制の最後だよ? 星谷菖蒲の卒制はこれで終わりってなるんだから!」
この言葉を聞いて、私はこの短編だけ、最後をもう少し書き加えようと決めた。
忘れかけていたが、卒業制作という「大」をつくるための「小」が各短編である。
もちろん「小」がなければ「大」にはならない。
しかし、「大」の枠があるから「小」で埋めるのだ。
今日は物語をつくる「大」と「小」のバランスについて、お話しよう。
なぜ「大」と「小」なのか?
先程、「大」は枠であり「小」はそれを埋めるものだと述べた。
しかし実際のところ、「大」とは物語を通して「伝えたいこと」である。
そして「小」とは、読者に伝えるための伏線や、伝えたいことの根拠である。
私の「大」、すなわち卒業制作を通して伝えたいことは「人間と妖怪は交流できる」ということ。
この時の「小」、すなわち各短編では、それぞれ異なる人間と妖怪の交流を描いている。
各短編で人間と妖怪の交流を書いているから、私が伝えたい「人間と妖怪は交流できる」ということが線で繋がり、読者に伝わる。
執筆する際に「何を伝えたいのか」を、自分の中で明確にすることは非常に重要だ。
伝えたいことを伝えるために書いている内容や要素は本当に必要なのか? 線で繋がるものか?
どんな物語をつくるか考えることは、つまり「大」と「小」を考えることなのである。
なぜバランスを取るのか?
物語をつくるためには、上述した「大」と「小」のバランスを取ることが大切である。
例えば、私の卒業制作の短編の中に、人間と人間、または妖怪と妖怪の交流に重きが置かれているものがあったとしよう。
果たして、読者に「人間と妖怪は交流できる」と伝わるだろうか?
他の短編から伝わるかもしれないが、不要な要素が邪魔をするだろう。
人間と妖怪という異なるものの交流を伝えたい時に、同じものの交流を描くことは、はっきり言って無意味である。
「大」を伝えるために「小」が必要となるのであるから、「大」が伝わらない「小」は不要なのだ。
「大」を伝えるために必要な「小」は何か?
「小」は本当に「大」を伝えるための要素となっているか?
二つを常に意識してバランスをとることが、「伝えたいこと」が伝わるコツである。
まとめ
冒頭の話に戻ろう。
私は確かに、各短編において、人間と妖怪の交流を書いてきた。
しかし各短編では「人間と妖怪は交流できる」根拠をあげただけで、結論を書いたわけではない。
つまり、このままでは「結局何が言いたかったの?」と受け取られかねないのである。
したがって私は、「大」である「人間と妖怪は交流できる」ということを伝えるために、「小」である最後の短編に要素を加えることにした。
書きたいシーンや盛り上がるシーンを書いていると、「物語を通して伝えたいこと」をつい忘れがちになる。
「大」と「小」のバランスを取りながら、自分が「伝えたいこと」を伝えられる物語をつくっていきたいものである。
「レッテル」を貼る世界
アルバイト先に、外国人の二人組が来店した。
どうやら自転車乗りのようで、これからサイクリングに行くらしい。
私がすんでいる地域は、自転車乗りにはそこそこ有名なところだ。
イベントが開催されることもあるし、外国人がやってくることも少なくない。
「朝からうちに来るなんて珍しい」と思っていたところ、自分の中にある考えに気付く。
もしかすると私は今、彼らから「日本人」の「飲食店員」というレッテルを貼られているのではないか?
外国人の存在を通して見えてきた「レッテル」を貼られているという考えについて、2つの点からお話したい。
なぜ「レッテル」を貼るのか?
よく聞くのは、学校の制服だ。
「制服を着ているみなさんは、○○高校の代表です。周囲の人に迷惑をかけないよう、気をつけましょう」
みなさんも学生の頃、少なくとも一度は言われたのではないだろうか。
制服はもっともわかりやすいレッテルの一つであり、他には性別、年代、地域などもある。
「レッテル」とは、誰から見ても明らかなその人の構成要素のこと。
私の場合、「女」で「若者」で、「日本」に住んでいる。
例えば、私たち日本人同士はわざわざ「日本人」のレッテルを貼り、相手をとらえるだろうか?
……答えは否。
なぜなら、自分自身も日本人であり、周囲には多くの日本人がいる。
「日本人」というレッテルでひとつに括れるものではないと知っているためだ。
では逆に、「外国人」ならばどうだろう?
私が9月にイタリアへ行った時、視界に入る人間はほぼすべて「外国人」であった。
中でも、学校の先生やホストファミリー、お店の店員などは「イタリア人」であった。
なぜ私は、彼らに「外国人」や「イタリア人」というレッテルを貼ったのか?
簡単に言えば、判断材料が少ないためである。
旅先で出会う相手は限られている。
出会った相手のような人間ばかりなわけがないとわかっていても、その国で連想されるのは自分が触れあったことのある人間だけ。
この時、人間は「レッテル」を貼り、貼られるのである。
つまり、私たちが外国で「外国人」のレッテルを貼るように、日本へやってきた外国人は、私たちに「日本人」のレッテルを貼るのである。
なぜ判断できないのか?
「レッテル」を貼る理由の一つは、判断材料が少ないからだ。
では、判断材料が少ないだけなのか?
もちろん違う。
もう一つの理由は、深く知ることができないためである。
例えば、ホストファミリーとは2週間ともに過ごしたから、そこそこ知っている。
犬や猫を本当の子供のように可愛がっており、おいしい食事を作ってくれる、優しい夫妻だ。
しかし、学校の先生のことは、彼が安くておいしいリストランテを知っていることしかわからない。
BARの店員に至っては、笑顔がチャーミングだったり、時々日本語で挨拶してくれたりしたことぐらいしかわからない。
海外に限らないが、旅行は一期一会が非常に多い。
相手を深く知ることが出来なければ、振り返る時には結局「レッテル」を貼り、振り分けてしまうものだ。
お国柄はあれど、相手を深く知れば素敵な人か、そうでない人かは必ずわかる。
そこには、「日本人」も「外国人」も必要ないのである。
まとめ
最近の例をひとつ。
先日、宝塚歌劇を観賞に行った帰りの電車のことである。
たまたま女性専用車両に乗って席に座ったのだが、隣に座ってきたのがなんとごく普通のサラリーマンの男性。
女性専用車両である。朝だけ夕方だけではなく、一日中のものだ。
周りの女性も、明らかに男性のことを気にしている。
隣に男性が座ることは嫌ではなかったが、「モラルとしていかがだろうか。宝塚の男性は度胸あるな」と思った。
しかし考えれば、女性専用車両に何食わぬ顔で乗り込む男性は宝塚限定ではない。
東京にもいるだろうし、札幌や大阪にもいるだろう。
あわや「宝塚の男性」というレッテルを貼ってしまうところであった。
同じ日本人でも、このようにレッテルを貼ってしまうことがあるのだ。
外国人へはなおさら貼ってしまうであろうし、貼られてしまうであろう。
「レッテル」を貼られてしまうような時には、もちろん貼られた「レッテル」を意識した態度をとらねばならない。
しかし本来は「レッテル」などなく、一人の存在があるだけだということを、忘れないようにしたい。